上月スポーツ賞受賞で
さらに成長を

ポジティブ思考で殻を破る

日本人の最高世界ランクに誇りと自信

日本女子卓球界の若きエース、石川佳純。2012年3月の世界選手権団体戦では、韓国に惜敗し、悔し涙を隠さなかった。157cm、49kgと細身の体のどこに、あの強力なパワーが隠されているのだろう。

2011年1月の全日本選手権で念願の初優勝。高校生での女王は22年ぶり4人目だった。その4カ月後、世界選手権(ロッテルダム)でベスト16入りし、ロンドンオリンピックの日本代表に早々と選ばれた。「夢にまで見たオリンピック。一日一日を無駄にせず努力していくだけです」と力強い。これまで第一人者と言われた福原愛選手を上回る世界ランキング5位(2012年6月1日時点)、もちろん日本選手過去最高である。オリンピックでは、福原とともに日本を引っ張る。「しっかり結果を出したい」。石川は世界の頂点を見据えている。

左シェークハンド型の石川佳純選手(2012年3月27日、2012年世界卓球選手権ドルトムント大会〈団体戦〉)

2009・2010年度に「スポーツ選手支援事業」の支援対象者に選抜した。認定式では支援対象者代表として、誓いの言葉を述べた。「とても緊張したことを覚えています。2年間にわたる支援は、すごく有難くて助かりました。 いろいろな面で応援をいただき、経済的に余裕ができたということだけではなく、強化面ですごくプラスになりました」と石川。この助成によって自覚が芽生え、精神的にも技術的にも大きく成長できたという。

2010年度にはJOCスポーツ賞(特別功労賞)と「上月スポーツ賞」も受賞。モスクワ世界選手権団体戦(モスクワ)で日本を牽引して3位に入った。
「あの賞は嬉しかったです。賞金は主に栄養費に使わせてもらいました」。
「スポーツ選手支援事業」については「選手はこういう支援を活かしてさらに強くなっていくと思います。支援を受けられれば、一層努力精進するモチベーションになります」という。

山口市出身で、卓球選手だった両親の影響で小学校1年生から競技を始めた。中学時代の2006、2007年で全日本連続3位。2007年世界選手権に史上最年少の14歳3カ月で出場。2008~09年シーズンは高校1年で国内4大会総なめ。幾多の栄光を手にしてきたが、連覇を狙った2012年1月の全日本選手権で、「愛ちゃんみたいに強くなりたい」と小さい時から憧れていた福原に決勝で敗れた。

「そりゃあ悔しかったですよ。まあ技術的に反省しなければならない点もあったけど、とにかく福原さんの調子がすごく良かったですね」。

中学3年で出場したフォルクスワーゲンオープン 荻村杯2007・千葉(2007年6月21日)

シングルスで優勝。1年生のインターハイ優勝は女子では57年ぶりの快挙(2008年8月7日、平成20年度全国高等学校総合体育大会・埼玉)

国内でいくら強くても中国勢を倒さなければ、「卓球ニッポン」の復活はない。練習量、精神力、環境、指導者など、どれも日本と変わらないのではと思いがちだが、世界一の中国とはまだかなりの差がある。石川は「2月のアジア選手権(マカオ)準々決勝で世界女王の丁寧選手と対戦し、1ゲームを取るのがやっとでした。前半は調子良かったのに後半になると点が取れなくなってしまった」と振り返る。

「まず、ボールの回転が全然違うんですよ。中国選手のボールの回転は強い。私も7歳からやってきたけど、向こうはもっと小さい時からプロ養成所みたいな環境で朝から晩まで練習しています。それに、女子でも170cm台の選手はざらで体格差で負けています」と分析した。

中国勢より強いドライブを打てばいいのだろうが、そう簡単にはいかないところに日本の長年の課題、悩みがある。石川が中国対策として考えているのは「トレーニングの量と質で負けないこと」。ドライブの威力で打ち崩すためにはそれに対抗できる筋力、体幹の強化しかない。その上、1日6時間の卓球練習も欠かさない。最近は海外遠征が多く、欧州、南米、アジア各地を転戦し、長いと1カ月も海外生活が続くことがある。「成績がいいと(海外遠征に)何回行っても楽しく、疲れも感じません。たくさん試合に出て、以前と比べて自分より強い選手に簡単に負けなくなったし、今まで歯が立たなかった選手にも2度、3度と続けて勝てるようになり、自信につながっています」と、日々成長していることを自覚する。

今や、目標とされる選手になった“カスミン”。「上月スポーツ賞」受賞をきっかけにして強くなり、世界で活躍する選手になったことで、これからの若い選手にも大きな刺激を与えている。
(2012年3月3日取材)

2009年度「上月スポーツ選手支援事業」認定式での誓いの言葉(2009年9月7日)

石川佳純(19歳)
卓球女子
全農所属