第4章
一流スポーツ選手だけでなく、一流の人間に
~財団法人上月スポーツ財団を設立~
2002 - 2004

平成14年~16年

豊かな社会の未来創造に貢献しよう―。教育・文化活動等の公益事業を着実に展開してきた上月教育財団は、節目の20年目を迎え、2002年3月、神戸市中央区港島中町へ事務局を移転した。

社会情勢も少子高齢化、高度情報化など時代の状況が大きく変化する中で、事業内容も大きく変わろうとしていた。初めは兵庫県を拠点にしていた活動を日本全体に拡大し、未来を担う有能な人間を世に送り出そうと、新しい事業へと挑んでいく。

2002年2月、上月教育財団は日本を代表するスポーツ選手に対して助成金を給付し、選手がさらに競技力を向上させ、あるいは記録を更新する環境を整えるための「スポーツ選手育英奨学事業」(後にスポーツ選手支援事業に改称)を開始した。

過去20年間、走り続けた財団が新しくスポーツ分野に着手した。当初の対象者は、兵庫県出身の学生・生徒で、競泳6、水泳飛込1、新体操1の計8選手が選ばれた。競泳女子自由形の山田沙知子、飛込男子の寺内健、新体操の村田由香里らオリンピック強化指定選手をはじめ、いずれ劣らぬ有望選手ばかりだった。

「スポーツは、はっきり目に見えるもの。多くの人たちに分かりやすく、感動も与える。スポーツはその瞬間々々で勇気を与え、すごいと思う」。上月景正理事長は、スポーツの持つ魅力を語る。この事業に着手したきっかけは「スポーツで頑張る人は練習しなければならず、勉強もしている。アルバイトもできず、活動資金に恵まれない。その人たちに少しでも役に立ちたいという気持ちから始めた。青春時代に競技に打ち込み、人々に元気や勇気を与えている。そういう選手に十分ではないが、支援の手を差し伸べたい」と、上月景正理事長の言葉に力が入る。

もちろん、スポーツ選手なら誰でもいいわけではない。日本のスポーツ界において、次の世代を担う十代、二十代の若者が対象となる。

年額60万円は選手にとって大きな金額だが、これを有効に、そして大切に使ってもらうことが財団の願いだ。「この支援で成果が出た時に喜んでくれたらいいんです。対価は求めていません。次世代を担う若い方々への支援でなければならない」と上月景正理事長。
さらに、スポーツでの成績向上だけを求めていないのも特徴である。「私たちは基礎づくり、土台づくりを重視しています。一流選手となって世界で活躍してくれたら喜ばしいが、それよりも一流の人間になってもらいたいと考えています」。

2003年3月には、「財団法人上月スポーツ財団」の設立が文部科学省から許可され、東京都港区北青山に事務局を開設した。当初は、教育・文化への支援活動で始まった財団法人が、なぜスポーツの分野へ進出するのかという議論が文部科学省内で持ち上がった。
「上月スポーツ財団の設立過程では、多くの苦労がありましたが、関係各位のご理解をいただき感謝しております。ご協力いただいた皆さまのおかげで、今日の財団の支援活動がスムーズに実施できております」。

同年、上月スポーツ財団は、「スポーツ選手育英奨学事業」を上月教育財団から継承した。この事業移管をはじめとして、次々と新規事業を始動させた。

オリンピック、世界選手権などで優秀な成績を収めた選手に与えられる「上月スポーツ賞」。国際的または全国的な規模の各種スポーツ大会、競技会開催に助成することによってスポーツの振興・発展に寄与する「スポーツ団体・競技大会助成事業」。日本を代表する優秀選手を育成するためにスポーツ医科学分野の研究に対して助成金を給付する「スポーツ研究助成事業」。
わが国トップレベルの選手を育成するためにスポーツトレーニングに関する調査・研究を、優れた施設・設備と指導者を持つスポーツセンターや競技施設等に委託する「スポーツトレーニング調査・研究事業」、がそれぞれ始まった。

栄えある「上月スポーツ賞」の第1回受賞者は初代スポーツ選手育英奨学生でもあった競泳女子の山田沙知子選手で、記念誌「財団法人上月教育財団20年のあゆみ」の座談会に上月景正理事長とともに登場している。

一方、上月教育財団は、2003年度から「デジタルゲームクリエイター育成事業」を開始した。デジタルゲームクリエイターを目指す18歳から25歳程度までの方で、デジタルゲームに係る教育を行う大学、専修学校に在学し、学業、人物とも優れた生徒、学生に奨学金を給付するというものである。

コウヅキキャピタルイーストビル(港区北青山)

設立20周年記念誌「財団法人上月教育財団 20年のあゆみ」

2003年度「上月スポーツ賞」を授与される山田沙知子選手(2004年3月5日)

第1回「スポーツ選手育英奨学事業」奨学生(2002年6月21日)