第3章
遺児、ベンチャー、情報教育を支援
~財団法人上月情報教育財団を設立~
1999 - 2001

平成11年~13年

社会貢献への道を歩みながら、財団は徐々に力を蓄えていく。大きく変化する社会情勢を受け、新たな奨学助成事業をスタートさせた。それは安心して勉強ができる環境を支える「遺児奨学事業」、若き起業家を応援する「学生ベンチャー支援事業」(後にベンチャービジネス支援事業に改称)である。

設立17年目の1999年、「遺児奨学事業」を立ち上げた。お父さん、お母さんら保護者を疾病や交通事故、阪神・淡路大震災やその他災害などで亡くした遺児が、安心して修学の機会を確保できるようにと奨学金を支給するという内容だ。

対象は大学生からスタートして、高校生、中学生、小学生、幼稚園児へと広げ、延べ850名に給付した。奨学生に採用された学生、児童生徒やその母親からは感謝とお礼の手紙が数多く財団に届けられた。

父親を失った小学生の母親からは「主人を突然亡くし、この先どうして暮らしていけばいいのか考えさせられる毎日でした。奨学金を頂けることになって親子ともども嬉しく、感謝の思いでいっぱいです。おかげさまで子どもも不自由なく学校に行くことができると思います」という手紙が寄せられた。日本各地の自治体でも遺児奨学給付の事業を展開しているところが増えているが、民間レベルではそれほど多くないのが実情である。

次に、将来の起業家を育てようと「学生ベンチャー支援事業」を開始する。まず、ベンチャー起業家を目指す学生からビジネスプランを提出してもらう。審査をするのは学識経験者ら8名の委員。審査委員長には神戸大学大学院の加護野忠男教授が就任した。応募者の中から書類選考された学生が選考発表大会でプレゼンテーションを行い、厳しい審査を経て選ばれた者に助成金を給付する。第1回助成対象者13名にさらなる見聞と視野を広く持ってもらうために海外研修を実施した。

2001年の助成対象者である長尾二郎氏は甲南大学在学中にシリコンバレーを含むアメリカ西海岸の研修に参加した。長尾氏は、「財団法人上月教育財団 20年のあゆみ」の中で「米国コナミ訪問やスタンフォード大学の学生との交流、シリコンバレー工業団地の視察をさせてもらい、充実した研修内容を体験できた。この経験を糧に、必ず自分自身のビジネスを成功させたい」と語る。長尾氏は2009年、起業した株式会社シンクの代表取締役としてマンガ作成ソフトのインターネット販売の企画を発表し、2度目の支援を受けることとなった。

他にも会社を設立した者がおり、今後も次世代型ビジネスを成功させていく方が増えることだろう。また、2008年からは学生だけでなく、全国の起業を志す若手社会人、起業後まだ間もない若手ベンチャー企業経営者も対象となっている。

例えば、2009年度の優秀賞を獲得した小野邦彦氏は、有機農業の「双方向型農作物流通システム『dododo』」を企画して、野菜提案企業である株式会社坂ノ途中を設立した。100年先でも続けられる農業を目指して、「未来からの前借り、やめましょう」というメッセージを掲げ、環境負荷の小さい農業の普及を進めている。「何を、いつ、どれくらいつくる?」から農家と一緒に考え、農薬や化学肥料に頼らずに丁寧に栽培された野菜を集めて、賛同者や消費者に届け、地道に少しずつ明るい未来を創っている。

この他、教育・文化活動事業の一環として、1999年3月に第1回21世紀大学講座を開催し、2000年までに計4回講座を開いた。

2000年3月、新たに「財団法人上月情報教育財団」(上月景正理事長)の設立が文部省(当時)から許可され、東京都港区赤坂に事務局を開設するとともに、上月教育財団より上月情報教育振興助成等事業を継承し、全国規模での事業を展開することになった。清水康敬氏、永野和男氏、岡本敏雄氏ら著名な先生方に審査委員を務めていただき、2010年までの18年間に延べ354件の助成・顕彰を行った。

2001年には、上月洋子常務理事が「財団法人上月教育財団」の理事長に就任した(現在は上月スポーツ・教育財団の理事)。

第1回「学生べンチャー支援事業」発表会(1999年11月13日)

「 学生べンチャー支援事業」の海外研修(Konami Gaming, Inc.)

遺児奨学生の母親からの礼状(2001年11月)

第4回21世紀大学講座(講師:柳田邦男、2001年3月23日)