第2章
日本と世界の架け橋になる人材を
~国際留学生への助成を開始~
1992 - 1998

平成4年~10年

日本の将来を担う若者を支援する事業に、上月教育財団は設立時から力を入れてきた。

設立10周年を迎えた1992年、社会福祉への協力に対して兵庫県知事から感謝状を受領。また、国際スポーツ交流に対する助成について兵庫県教育長から感謝状を受領、同年に兵庫県社会賞も受賞するなど、これまでの活動への評価をいただけることとなった。

同年12月には、設立10周年記念式典とファミリーコンサートを開催し、記念誌として「財団法人上月教育財団10年のあゆみ」を刊行した。記念誌には兵庫県知事、兵庫県教育長、神戸市長、神戸商工会議所会頭、兵庫県立高等学校長協会会長などから祝辞が寄せられ、財団のさらなる隆盛を期待する声が高まった。

翌1993年には日本赤十字社から銀色有功章を受領。1996年には、上月景正理事長が兵庫県文化功労者表彰を受賞した。

そして、国際化が進む日本社会にあって、海外から日本に私費留学でやってきた学生に対する「外国人留学生奨学事業」(後に国際留学生奨学事業に改称)を新たに加えた。この事業は能力のある留学生に奨学金の給付を行う制度で、1992年から始まり、延べ233名が助成を受けた。留学生奨学事業の目的は経済的理由により修学困難とされる留学生に修学を促し、日本と世界の架け橋となる人材を発掘すること。最初はアジア地域出身の私費留学生だけに対象を絞った。誠実で健康、勉学意欲に旺盛な人であることはもちろん、経済的に苦境に立たされている学生で、帰国後も母国の発展に貢献し得る人間でなければならない。

これに先駆けて、1990年10月には、神戸大学主催の「国際化時代と留学生受入れに関する国際シンポジウム」に協賛をしている。この事業実現に向け綿密な協議を重ね、検討委員会を開いて諸準備を進めていった。

1992年は中国3、韓国1の計4名。留学先は神戸大学、兵庫教育大学、神戸商科大学の3 校である。5月には、第1回「外国人留学生奨学事業奨学生認定式」が行われた。当初は中国や韓国など近隣諸国からの留学生への奨学金給付が中心だったが、後には他の国の学生にも拡大している。ネパール、コロンビアなどの留学生も奨学金を受け、「母国の発展に貢献している」との便りも届くなど、国際社会貢献の一翼を担っている。

留学生の数は12万名(2011年現在)を優に超えているが、1992年当時は約4万5,000名だった。その多くは経済的に恵まれない私費留学生だった。助成を受けた留学生たちは勉学に励むことができ、留学期間を終えて帰国後も財団との絆と誇りを胸に、母国と日本の友好関係発展の架け橋になろうと努力を続けている。

1996年度の奨学生に選ばれた韓国の辛相和氏は、神戸大学大学院自然科学研究科を修了。「夢を持って日本へやってきた留学生にとって、経済的苦労は言葉や文化の壁とは違った意味で大きな負担になるもの」と、留学生の苦悩を代弁した。

辛氏は1995年の阪神・淡路大震災で被災し途方に暮れていた。「住居費、生活費に困窮していたところ、奨学生に選ばれた。おかげで生活の安定が図れ、勉学、研究に専念することができた」と、2002年に発刊された「財団法人上月教育財団 20年のあゆみ」の中で振り返っている。

留学生と、日本の奨学生との「奨学生交流会」も毎年開かれた。大学を卒業し、立派な社会人として活躍しているOB、OGが一堂に集まり、お互いの教養を深め、親睦を図ることが目的である。留学生たちが日本の奨学生や財団の理事ら関係者と母国の実状を話したり、コミュニケーションを図る有意義な場となった。

また、1993年から「国際文化交流活動」として、兵庫県教育委員会主催の「文化財国際交流事業」等を支援し、国際交流の一助となった。

一方、学校教育の分野において情報教育の推進が重要視されてきた社会背景を受け、情報教育の研究に関する助成と顕彰を行う上月情報教育振興助成等事業(「上月情報教育研究助成事業」および「上月情報教育賞」)を開始し1992年から募集を行った。この事業は2010年まで続き、情報教育の先進的な研究に対して助成をすることで教育振興に貢献した。

設立10周年記念式典(1992年12月12日)

設立10周年記念誌「財団法人上月教育財団 10年のあゆみ」

設立10周年記念「ファミリーコンサート」(出演:由紀さおり、1992年12月12日)

第1回「上月情報教育賞」大会(1993年8月27日)

兵庫県社会賞を受賞(1992年11月3日)