第1章
「日本の将来は教育にあり」
~財団法人上月教育振興会を設立~
1982 - 1991

昭和57年~平成3年

兵庫県教育委員会より、1982年6月17日、許可を受けて「財団法人上月教育振興会」を設立した。上月景正が理事長に就任してスタートした財団の事業の3本柱は、①教育関係者の研究および研修に対する教育研究助成事業、②兵庫県出身の学生に対する奨学資金の給与および貸与を行う奨学助成事業、③教育・文化振興のための講演会開催と出版物の刊行を行う教育・文化活動事業であった。

設立当初は、法人の事業運営について具体的なノウハウがあまり蓄積されていなかったため、苦労が付きまとった。「功を焦るより力を蓄えよ」という上月景正理事長の考えで、長い目で見て社会に役立っていこうという方針に徹した。

①教育研究助成事業は、まず兵庫県内の学校や教育機関に勤務し、教育・文化の振興に寄与する研究を行う者に対する「教員等研修等助成事業」が挙げられる。この事業は14年間で148件の研究および研修に助成を行い、研究成果を出版物「Σ(シグマ)」にまとめ教育機関等に無償で配布した。

次に1984年から「上月セミナールームの提供事業」を実施し、兵庫県内の学校、教育機関に属する研究グループなどに研修の場として上月セミナールームを無償で提供した。そして、「教育ゼミ助成事業」では、さまざまな課題に関する教育関係者の研修に対して支援を行った。

②奨学助成事業は、経済的理由により修学が困難な者を支援する「育英奨学事業」において、1983年から数え延べ305名に助成した。

また、高等学校の修学旅行などに経済的理由で参加できない生徒を支援する「修学助成事業」を実施した。高校生を対象にした修学旅行費用の支援は重点事業のひとつでもあり、1984年に始まったこの事業は、1998年までの15年間に延べ655名を支援した。高校が実施する数ある集団行事の中で生徒たちの顔が生き生きとし、より輝いて見える修学旅行。友と一緒に過ごした体験は一生の思い出として脳裏に焼きついているのではないか。修学旅行の形態は、時代の流れとともに変遷しているが、その教育的意義は大きい。
経済的に恵まれない生徒への高校生活の良き思い出づくりの手助けに対して、多くの学校、保護者、生徒たちから感謝の言葉が寄せられた。

③教育・文化活動事業では、各種文化領域において活躍する著名人を招致して、兵庫県の教育・文化振興の一助とする「ひょうご文化活動」を実施し、設立時から開催したひょうご教育文化講演会は好評を得た。各界から著名な講師を招き、専門的な話や楽しいエピソードを聴く機会を設け、1982年の初年度に京都大学教授の多田道太郎氏、作家の野坂昭如氏に講演いただいた。翌年度以降も、作家の黒岩重吾氏、深田祐介氏、藤島泰輔氏、版画家の池田満寿夫氏、脚本家のジェームス三木氏、野球解説者の山田久志氏と続き、中でも1991年3月に招いた女優でタレントの黒柳徹子さんの講演は盛況で、軽妙なおしゃべりとファミリーコンサートの音楽物語「窓ぎわのトットちゃん」は大きな反響を呼んだ。

伝統文化の継承や地域間交流等を重視した「地域文化活動」にも力を注いだ。丹波、東播磨、西播磨、但馬、淡路など兵庫県の各地域にはさまざまな文化が根付いており、これら5地域で開催される各種文化事業を、1983年から1995年まで助成した。個性豊かな地域文化の振興を図るため、住民のニーズに応えて講演会、シンポジウム、コンサート、ファッションショーなど多彩なイベントが開催された。

1985年10月に「財団法人上月教育財団」と名称を変更し、1991年5月には神戸市中央区中山手通に事務局を移転した。事業内容は年々拡充され、基本財産も順調に増加していき、安定期に入っていく。

人づくりこそ後世に残す最大の財産であり、教育こそ立国の基盤であるという信念を貫いて10周年を迎えることになる。

財団法人上月教育振興会「設立許可証」

’82 ひょうご教育文化講演会(講師:多田道太郎、1982年11月8日)

研究生報告集「Σ(シグマ)」

’83 地域文化大学(1983年8月2日)