1人でも2人でも
才能を開花して!

「手塚治虫の心の語り部に」。
夢を与える松谷社長

子どもたちの将来に大きな夢を

『鉄腕アトム』、『ジャングル大帝』、『火の鳥』、『ブラック・ジャック』…。
世界的な漫画の巨匠であり、日本アニメ界の父として知られる故・手塚治虫の数々の作品やその精神を継承していくことをライフワークにする「手塚プロダクション」の松谷孝征社長。1973年、手塚治虫のマネジャーとして手塚プロダクション入社、1985年から同社社長に就任。同社は手塚作品のすべての著作権を管理している。松谷社長は、「漫画家・アニメーター育成事業」助成対象者を選ぶ審査委員を第1回から務めている。

手塚プロダクションを訪れるため、JR山手線高田馬場駅のホームに降りると『鉄腕アトム』の主題歌が流れてくる。本社が高田馬場にあることと、アトムの生誕地になっているとのことで地元商店街の提案により曲を流すことが実現した。それほど、手塚と高田馬場との関係は深い。さらに、同駅の高架下に、手塚漫画のキャラクター総出演の壁画が描かれ、多くの方々に親しまれている。没後23年経っても、手塚作品が愛されていることを証明している。本社に一歩入ると、「手塚ワールド」が広がる。手塚漫画の人気は衰えない。

故・手塚治虫

読みつがれている名作『ブラック・ジャック』

「応募者の人たちには、確かに情熱を感じます。皆さん、何とかしてあげたいと思いますが、こればっかりは才能の問題。落選した人にもキラリと光る人もいます。でも多数の応募者の中から選ばなければなりません。落選した人にも是非頑張って欲しい」と語る。実技審査や面接ではいつも選考に頭を悩ます。だが、優れた能力を持っていることだけは確かだという。「社会の状況はたしかに悪い。でも自由に描ける環境、題材は沢山ある。2011年3月11日の後、即座に災害関連の作品を描き始めた人もいたし、被災地へ行って災害をアピールする作品や被災者を励ます作品をどんどん描いている方もいた」と、最近の若者のやる気を称賛する。

若者へのエールは続く。「助成を受けてきた方たちは皆20歳前後。漫画やアニメの世界に没頭できる状況下で一生懸命勉強して、必死になって毎日机に向かって描いている方たち。助成期間の1年間、無我夢中に励むことは決して無駄にならない。別の世界に行ったり、あきらめざるをえなくなったりしても、がっかりしないでほしい。その1年はきっと別の世界でも自分のためになるはず」と強調する。さらに、今の若者に個性が乏しくなっていることに触れ、「真似から始まっても構わないが、いつまでも同じでは駄目。皆そこからスタートし、独自のものにしていくのです」。

第8回「漫画家・アニメーター育成事業」二次審査会(2011年7月6日)

代表作のひとつ『火の鳥』

作品 © 手塚プロダクション

日本の漫画やアニメが国際的に評価されている「クール・ジャパン」については一見識を持つ。「手塚は40年も前から『世界と比べ日本の漫画の方が優れている』と言っていた。TV アニメの『鉄腕アトム』が1963年にアメリカに渡り、そして世界中に広まり、日本の漫画やアニメの素晴らしさが理解された。でも中国や韓国は国策として、漫画やアニメに力を入れている。日本もうかうかしてられない」と説明。だからこそ、今の若者に期待するところ大だ。

「今の漫画家やアニメーターを目指す方たちは昔と違い不況でアルバイトなど簡単に見つからない。だから上月財団がおやりになっている助成は若者を支え、素晴らしいこと。とても感謝しています。ここから1人でも2人でも才能を開花してくれる人が育ってくれたら嬉しい」とエールを送る。

松谷社長は「漫画の世界は昔から厳しい。雑誌に載るなんてごく一部の人。
載っても人気がなければすぐ切られる。手塚だって、他の漫画家がどうして売れているのか、研究を怠らなかった。何としても吸収して自分のものにし、新たな作品に挑戦していった」。
さらに「手塚は自らの戦争体験でその悲惨さ、そして平和や命の大切さを未来の子どもたちに漫画を通して伝えたかったのです」と訴える。

手塚治虫の心の世界、作品の世界は人間の目指すところに通じるという。
「社会貢献もそうですが、優しい心を持ち続けること、誰とでも親しく接することができたらいい。
自然を愛めでるというか、そんなことを考えるのですが、それはすべて手塚作品の中にある。手塚が戦争の語り部になると宣言しました。それならば私自身は手塚治虫の心の語り部になろうと決めたのです」。松谷社長は子どもたちの将来に大きな夢を与えようと、財団の精神とともに後世に伝えていく覚悟だ。
(2012年2月22日取材)

松谷孝征(67歳)
手塚プロダクション社長