審査委員座談会

世界に通用する
トップアスリートを育てる
環境づくり

さらなる高みへ ~支援の輪を広げよう~

上月スポーツ・教育財団は2002年からスポーツの分野に力を入れ、世界に通じる若手選手の育成を支援してきた。「上月スポーツ選手支援事業」認定式、そして世界規模の大会で優秀な成績を収めた選手に与えられる「上月スポーツ賞」の表彰式も定着している。
これらの審査委員となっている元オリンピックメダリスト3名に登場していただき、若い選手を育てる環境づくり、今後の財団の方向性などを語ってもらった。

Profile

五十嵐久人

(いがらし ひさと)

1951年2月19日生まれ。新潟大学教授、国際大学スポーツ連盟(FISU)理事、財団法人日本体操協会総合企画委員会部員。
1976年モントリオールオリンピック男子体操団体総合金メダリスト。

ゼッターランド ヨーコ

(旧姓 堀江陽子)

1969年3月24日生まれ。スポーツキャスター、公益財団法人日本体育協会理事。
1992年バルセロナオリンピックのアメリカ女子バレーボール代表銅メダリスト。

山口 香

(やまぐち かおり)

1964年12月28日生まれ。筑波大学大学院准教授、公益財団法人日本オリンピック委員会(JOC)理事、公益財団法人全日本柔道連盟国際委員会副委員長、1988年ソウルオリンピック52kg級銅メダリスト。

堀 荘一

(ほり そういち)[司会]

1947年9月6日生まれ。財団法人日本体操協会常務理事、元・時事通信社解説委員。

勝負所の意識を強く持てる子がチャンスをつかむ

司会現役時代と指導者になった現在を比較し、スポーツに対する感覚や考え方の違いをお聞かせください。

五十嵐現役の時は、体操がすべてという感覚でやっていました。この気持ちは不変的なもので、昔も今も皆トップを目指しているわけだから、いつの時代も変わらないでしょう。ただ、スポーツを取り巻く環境が変わってきていると感じています。

山口選手の競技に取り組む気持ちはいつの時代でも同じ。ただ、私たちの現役時代、周りの方々の見る目や評価と、今の選手を見る目とは随分変わってきていると思います。私自身、選手時代は勝つことに精一杯でした。しかし、だんだん歳をとってくると、指導者として選手たちに求めることが多くなってきています。

ゼッターランド日本の女子バレーボールはオリンピックに出ること、メダルを取ることが当たり前という時代が長く続いていました。団体競技の特性もあり、女子選手の多くは高校卒業後、すぐに社会人チームに入り、練習を積んでオリンピックを目指す形は今も続いています。私が高校卒業を目前に控え、進路問題で悩んでいる時に、「日本の女子アスリートも海外のようにアカデミックでもあることがこれから重要ではないか」と先輩からアドバイスをいただき、「文武両道」の意識が高まりました。アスリートが高い教育を受け、さまざまな価値観に触れることにより、競技をするうえで最も必要とされる「自ら考え、行動する力」をより高められるのではないかと思っています。

司会さて、近年はオリンピックでメダルを狙える選手が増えていると思いますが、これらの選手たちは環境、意欲などの点で一般の選手と比べて何が違うのでしょうか?

山口それがわかれば金メダリストをもっとたくさん育てられると思います(笑い)。どういう指導者や選手がいいのかはケースバイケースで、一つの言葉で表すのは難しいですね。小さいころからオリンピックを目指していると、その中で競り合ってここが勝負所だと思って何かをつかんだ選手が伸びていく。チャンスはいつでもあるようだが、実は二度と来ない。その一つのチャンスをつかむことで、もっと大きなチャンスが広がる。その勝負所の意識を強く持てる子が、後にトップアスリートになっていくんじゃないでしょうか。

ゼッターランドチャンスを何が何でもつかみたいという意識があると、練習を積み重ねていくうちにだんだんと感覚が研ぎ澄まされてきます。感覚が鋭くなると勝負所での戦い方を理解するようになります。だから思い切って怖がらずに一歩前に出ていくことができる。また、勝敗の行方を案じるよりも、勝負に出る勇気が持てる者に「勝負の神様」は微笑んでくれるのではないかと思うことがありますね。後は「良きコーチング」ができる指導者の存在が重要ではないでしょうか。

五十嵐その時代々々でトップになる選手というのは、常に監督やコーチのレベルを超えているので、そういう意味で監督、コーチというのは非常に大事だと思います。大リーガーのイチローとか、競泳の北島康介は感覚的にコーチのレベルのはるか上をいっている。

日本的な指導は「一を聞いたら十を知る」というのがよしとされています。しかし、欧米は「一」の次は必ず「二」で、その次は「三」。必ず論理的に指導する。日本の場合は直感的な指導です。最終的には、いい選手というのは自分の中に監督やコーチがいます。私は学生から社会人になってオリンピックに出るまで、そのための練習計画書を何千通りも作りましたよ。自分の中にコーチがいれば、自分で自分をとことん追い詰めることができる選手とか、そういうことが好きな方が飛び出していくんじゃないでしょうか。でも、それだけでは勝てない。環境だとか、その時の運だとかが関わってきますが。

司会選手は成長するに従って、自分の中で競技に対する意識が変わってくると思いますが、コーチの指導法がベストとは限らないと?

五十嵐野性的なことを見失ってはいけないと思いますね。宮本武蔵が武蔵(たけぞう)時代、とんでもない悪がきだった。そういう先天的な資質を持っているのが、強くなる基本。ただ単に腕を磨くだけでは、日本一にまではなれないのでは。成長するにつれて少しずつ心が丸くなり、同時に野性的なものが研ぎ澄まされていって初めて本物になっていくんだと思います。

小林研也選手(体操)
2007・2008年度 スポーツ選手支援事業
2010・2011年度 上月スポーツ賞

自分のために頑張ることが、チームのため、日本のために なっていく

司会選手はどの時点から日の丸を背負って戦うという意識を持つんでしょうか。また、選手たちは当財団の支援をどう感じているんでしょうか?

ゼッターランド代表になるような選手は年齢で意識に差があるかといえば、そうではないですね。若くてもしっかりしている子もいます。多くの方に支えられて、苦しい思いを乗り越えていく過程で、支えられていることを感じ取れる子がトップにいく。

トップを目指している選手の周りにいる方たちが勇気づけたり、長い間支援したりしています。その気持ちに応えようと選手が頑張っている姿は、多くの方たちに元気を届けられると思います。競技力の向上のみならず人間としての成長も大事だという指導を受けてきており、応援してくださる方に対する感謝の気持ちは深いと思います。それがベースにあれば、やがて日の丸を付けることになった際には、学校や地域の単位から広がって、国を背負っていくんだという意識が強まると思います。

山口結局何のために勝ちたいか、勝って何が得られるかと言えば、人が喜んでくれること。自分だけ喜んでいても周りがしらっとしていたら一つも感動しない。選手たちに試合後にレポートを書かせると、まず親への感謝、その次に指導者、チームメートとなります。結局、誰かのためというのが最後は強さに繋がります。ただ強いだけじゃ勝てないですね。若い子に毎日念仏のように唱えているんですよ、勝負の時に身をもって人のためにと感じた子は強くなると。一つ抜けるというんでしょうか。

また、そのことをスポーツによって知れば、おそらく人生のもう一つ上の舞台に立った時にきっと、スポーツで培ってきた経験を社会に役立てることができる人間になれると思いますね。

入江晋平選手(水泳)
2009年度 スポーツ選手支援事業

五十嵐選手時代、好きなことができない人生なんて何が面白いのだという気持ちでやっていました。やるなら後悔しない人生を歩みたいと思って。大学時代の経験はすごく印象に残っています。インカレ(全日本学生選手権)で自分のミスでチームが負けると、1週間は体育館に行くのが辛かった。自分のためにやっていたんですが、気が付かないうちにみんなのためにやっている。突き詰めて考えると自分のため、それが大学のため、日本のためになっていくんです。

司会なるほど。ところで、若い有望選手を選ぶポイントは?

五十嵐選手育成方法といっても、いろいろな環境があります。日本と欧米の違いですが、日本はどうしても教育という立場を考えてしまう。私は教育現場の人間で、スポーツというより教育面でやりくりして育てていくスタンスで教えています。しかし、私がアメリカにいた3年間は決してそうではなく、あるコーチは駄目な者は使わず、いい者は使うとの考え方でした。選手が「7」を頑張れば「7」を与え、「2」しか頑張らないと「2」しか与えない、という考え方がアメリカのコーチ。日本はどうしてもスポーツに教育が入ってくるので、教育に重きを置く指導となりますね。

ゼッターランド私は中学時代に「バレーボール部員は全校生徒のお手本(=ロールモデル)たれ」と厳しく教わりました。その基本理念は指導者となった今も変わりません。若いアスリートだけでなく、選手には技術面のみならず、「社会のロールモデル」となる姿勢を求めます。アメリカナショナルチーム時代には戦力としてそのチームで使えるかどうかというだけでなく、多方面において厳しく、かつ高いプロフェッショナル性が求められました。年齢やキャリアに関係なく、チームの一員である以上全員が対象でした。

山口イギリスやフランスで子どもたちを指導しましたが、すごく楽しく練習します。やはり、柔道も楽しく教えないといけないなと思って帰ってきました。フランスの柔道人口は60万人ほどで、14歳以下が全体の80%。楽しい柔道をさせてもらっているのに、高校生レベルの選手がいない。エリートだけしか残っていないんです。

一方、日本は礼から始まって、「型」の文化から入ります。そして、徹底的に基本から指導されるから面白くもないし、厳しい。でも、基礎があるから大人になってからも積み上げていけるんです。フランスなど欧州の指導は一瞬楽しいけれど、ベーシックなものは教えないんですね。…ピアノの練習だってバイエルを超えないとなかなか前に進まず、そこでやめてしまう。しかし、その型を超えていくから素晴らしいピアニストが育つんだと思います。日本では、日本の伝統に則ってやっていくことが望ましいと思っています。

五十嵐他の国は面白ければ、強ければいいという考え方です。柔道で言うと、日本は型から入るので年数がかかって辞めてしまう子が多いですね。ところが、残った子は土台ができているから伸びる。スポーツ以外でも型を重要視します。これが日本のいいところ。

山口幼い子は理屈では指導できないし、2歳児に教えるのに個性とか言ってもねえ。

五十嵐ウサイン・ボルトなどは、科学的なことを取り入れているわけではないと思われるし。

ゼッターランド何事も幼いころから基礎をきっちり身につけていくことは、やがて自分の身を助けることになります。アメリカ時代にコーチがネット際の細かいプレーがよくできている選手がいる、それが私だと言ってくれました。本当に嬉しかったですね。なぜなら中学時代から10年間、地味な作業でも、気が遠くなるぐらいの反復練習をして、それが確実に身に付いたということです。他の選手と比較して身体的ハンディがあった自分でも勝負できる技術があると知って、大きな自信になりました。ポイントゲッターにはなれないけれど、確実にある一定の動きをこなすことができるということ。世界的にみても小柄な日本人選手が(型を身につけるという)我慢強さみたいなものを早いうちから教えられていることは、海外からの評価も高いと思います。

植松鉱治選手(体操)
2009年度 スポーツ選手支援事業
2010・2011年度 上月スポーツ賞

山口ロシアのボリショイサーカスなんて凄い。それこそ好きとか嫌いとかいう段階ではなく、とにかく基本を教え込まれる。時間がかかっても、そのステップを積んでいかないと一朝一夕にはいかない。格好よさから、有名な選手をまねする子どもが多いですが、その前にまずここ(基本)からやるんだよと教えています。

ゼッターランドやはり揺るぎない基礎がないとできないですよね。

五十嵐逆立ちの姿勢が悪い人は車輪もできない。ごまかしても、いくら高難度の技をやっても、ベースになる動きが美しくなければ点は出ませんよ。

助成を受けることはステータスであり、プライドになる

司会世界の選手たちの体形がどんどん大きく立派になってきているようです。

山口中国代表のシンクロチームの井村雅代コーチが言ってましたが、選考会を開いたらプロポーションが優れている子どもたちが山ほど集まったと。

ゼッターランドバレーボールでも北京体育学院を訪れた際に見ましたねえ。年齢が11~16歳ぐらいまでの選手のうち20名近くがみんな180cm以上で、まだ伸びて190cmはいきそうな選手ばかりでした。北京市内だけで20名だから、中国全土から集めてきたらどうなるんだと。

五十嵐中国は設備もすごいです。日本には総合的な練習環境が少ない。スポーツでなぜそんなお金を使うのかなどという批判がありますね。オリンピックなどの世界レベルでは、こういう環境でないと勝てないということを理解してくれる方が日本では少ないです。

山口日本はナショナルトレーニングセンター(NTC)ができるまでに、どれだけ時間がかかったことか。

沖口 誠選手(体操)
2007年度 スポーツ選手支援事業
2007・2008・2010年度 上月スポーツ賞

ゼッターランド足掛け40年ぐらい。その間、トレーニングを精いっぱいやってメダルを取ってきたのだから、それはそれですごいことだとは思います。日本にはナショナル級の設備が少ないですが、アメリカではあちこちに点在しています。

五十嵐アメリカは各大学に5、6万人収容のスタジアムがざら。アスレティック・デパートメントというコーチ専用の建物もありました。

ゼッターランドアメリカの田舎の小さな大学に行っても、ナショナルのトレーニングセンターと同じような、メディカルルームやジャグジーを備えたトレーニングルームなど整備されていますね。

司会お三方は、財団のスポーツ関連事業審査委員などを務めておられますが、民間レベルでやっている助成事業の意義についてご感想をお聞かせください。

五十嵐上月スポーツ・教育財団は、選手にとっては貴重な存在です。現役時代、今とは状況が違ってアマチュアリズム全盛期だったので、自分の小遣いや給料からしかトレーニング費用を捻出できませんでした。助成してもらえることは、選手にとってこんなにありがたいことはないです。同時に、それは単なる金銭的なものだけではなく、あなたへのステータスなんだよということだと思います。次の世代の選手も、助成してもらうことを目指してほしいですね。

ご挨拶 五代友和理事
2011年度「上月スポーツ選手支援事業」認定式
「上月スポーツ賞」表彰式

山口昔より競技化が進んで競り合いが続いており、身体のケアも重要で、お金がかかることは間違いありません。親にかかる負担も少なからずあります。そうした中で、助成をいただけることは次の世代を担うジュニア層にとって、非常にありがたいことです。そして助成対象者に選抜されることがステータスであり、プライドになっています。財団から助成を受けた選手は必ず結果を出しています。やはり、それはお金という価値もありますが、それ以上に勝負への意識を変える大きなきっかけになっているように思います。ありがたいことに、年々助成を受ける人数も増えています。

ゼッターランドかつて、私の現役最後の時期には不況で業績が悪化した企業が、抱えていたチームスポーツを一斉に休部、廃部せざるを得ない時代を経験しました。そして現在、日本のスポーツを支えている企業の経済状況は決して楽観できないと思います。とくにチームスポーツは、チームが消滅すると選手活動の継続も困難になります。このような厳しい経済状況の中でサポートしていただき、より安心してプレーができる環境を作っていただいている財団のご支援は、団体競技にとってもとても良い方向へ導いていただいていると感じています。例えば、2011年には2名の女子代表選手が支援を受けて、トルコ(狩野舞子)とアゼルバイジャン(佐野優子)のチームで腕を磨いています。

支援を受けた感謝の気持ちを社会に還元するために

司会今後の財団の活動について、ご要望はありますか?

山口助成を受けることは非常に価値があるんですが、そのことに対して選手たちは責任を強く感じながら、「何に期待してこの助成が出されているのか」を考えてほしいです。

スポーツの一つの問題点は、競技力向上というか、金メダル至上主義が当たり前になっていること。私たちも若い時には、金メダルに向け一生懸命やっていました。しかし、その先にあるのは社会に役立つ人間であり、社会に貢献できる人材を育てたいというのがこの財団の助成の大きな目的であり意義であると思います。

金メダルが最終目標ではなく、金メダルの先にあるもの。それはやはり、ここで育ててもらったものをどうやって返していくのか、どうやって(社会に)還元していくのかということを意識してもらいたいんです。上月スポーツ・教育財団から助成を受けて結果を出し、そして引退した選手が何かを還元できるようなシステムなり、制度なりができるといいなと思っています。例えば、現役選手が過去に助成を受けた先輩選手と触れあって刺激を受けたり、育てられた選手がまたここへ戻ってきて、後輩選手にいい影響を与えるようなサイクルが将来的にできれば、また一歩進んだ制度になると思います。

五十嵐同感です。単に金メダルを取ったからということでなく、元々強い子というのはギラギラした野性的で枠にはまらない資質が必要。でもそのままでは駄目、社会では通用しないんだと言いたい。スポーツで皆から認められるのはただ強いだけでなく、みんなから憧れられる存在にならないといけない。そうなると、人間的に成長していく。その中で、この助成制度があり、後輩のお手本になり、人間的な魅力がある人になってほしいし、みんなから尊敬される人になってほしいんです。目標とされる人になるきっかけづくりの一つが助成だと思う。この助成で認定されたということはすごいステータス、プライドになるし、周りにいい影響を与えるような気持ちの変化が起きるかもしれない。今後は、助成をいろんな競技団体へ広げてもらい、また、こういう助成があるんだということを多くのアスリートに知ってもらいたいです。

認定書授与 東尾公彦専務理事
崎本浩成選手(水泳)
2011年度「上月スポーツ選手支援事業」認定式

誓いの言葉
村上佳菜子選手(スケート)
2011年度「上月スポーツ選手支援事業」認定式

ゼッターランド最近選手たちから、お世話になった地域のみなさんに勝った報告をして感謝の気持ちを伝えるだけではなく、プラスして何かを還元をしていきたいという言葉が聞かれるようになってきました。選手自身のなかに還元したいという気持ちがあっても、具体的に何をすればいいのか、きっかけが見つけられない方もいます。還元することがどういうことなのか、何をどうすればいいのか、を考えてほしいですね。還元するということは、する方もされる方も感動を共有することにつながります。今後、そのようなチャンスをいただければ、選手たちもまた一つ大きく人として成長していくと思います。

塚田真希選手(柔道)
2003年度 スポーツ選手支援事業
2004・2007・2008年度 上月スポーツ賞

山口柔道では塚田真希(当時、大学4年)がこの「スポーツ選手支援事業」助成対象者第1号だった。2004年アテネオリンピック柔道女子78kg超級で金メダルを獲りました。「助成対象者に選ばれると金メダル」というジンクスが出来上がればいいですね。選ばれたみんなが誇りを持って、自信にしてくれればと思います。

次世代を担うということで言えば、スポーツ以外にさまざまな分野がある中で、支援を拡張してもらえることは非常にありがたいです。選ばれた選手たちがそれに応えようという意識を持ってがんばってきた成果であるとも言えます。選ばれた選手たちがまた次に引き継ぐという思いを持って、自分自身にハッパをかけてもらいたいです。助成事業は今後、30年、50年、100年と続いていくだろうし、大勢の関係者を集めて、助成を受けた方たちの同窓会のような催しを開けたらいいですね。スポーツ医科学の研究分野を含め、上月スポーツ・教育財団が縁の下の力持ちになっていただき、全体でスポーツを裏から支える、そういうことに対しても支援していただければいいと思います。それが結果的に競技力の向上に役立ち、オリンピックのメダルにもつながっていくような流れができればと、期待しています。

司会本日は、貴重なお話を伺うことができました。ありがとうございました。

(2012年1月12日取材)